避難所に行けない・行かない住民をどう守るか
「大きな地震が来たら、避難所に逃げる」 長年、日本の防災の常識はそうでした。しかし今、この常識は大きく書き換えられています。
国土交通省・内閣府は、耐震性能を満たしたマンション居住者に対して在宅避難を原則とする方針を明確にしています。
避難所は収容人数に限りがあり、マンションという堅牢な建物を持つ居住者が押し寄せることは、避難所本来の機能を損なうためです。
「避難所に行く」から「自宅にとどまる」へ。
この転換は一見、マンション居住者にとって有利に聞こえます。しかし実態は逆です。
在宅避難が前提になることで、マンション内の共助がより一層、命を左右するものになりました。
本記事では、在宅避難という新しい前提のもとで、マンション防災がどう変わらなければならないかを解説します。
目次
- 「在宅避難」が当たり前になった背景
- 在宅避難には2種類ある——「行けない」と「行かない」
- 在宅避難が生む、見えにくい危機
- 避難所がないマンションに何が必要か
- 在宅避難を支える「フロア内共助」の設計
- 在宅避難とデジタル——情報の孤立をどう防ぐか
- まとめ:在宅避難時代の防災は、マンションの中で完結する
1.「在宅避難」が当たり前になった背景
政策転換——なぜ「自宅にとどまれ」になったのか
在宅避難という考え方が広まった背景には、複数の政策的・社会的変化があります。転換①:耐震基準の向上と建物安全性への信頼
1981年の新耐震基準、2000年の改正耐震基準を経て、現在のマンションの多くは大規模地震でも倒壊しない構造を持っています。
阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたのは、旧耐震基準の建物が中心でした。
現行基準を満たすマンションは、多くの場合「建物の中にいる方が安全」です。
転換②:避難所の収容限界
東日本大震災(2011年)では、指定避難所の収容能力を大幅に超える避難者が殺到しました。
この経験から、行政は「避難所に行かなくていい人には来てほしくない」という立場を明確にするようになりました。
転換③:コロナ禍が加速させた意識変化
2020年以降のコロナ禍は、「避難所での集団生活リスク」を住民に広く認識させました。
感染症対策の観点から、「可能なら自宅にとどまる」という選択肢が現実的なものとして定着しました。
国土交通省・内閣府のガイドライン
内閣府「避難情報に関するガイドライン」および国土交通省「マンションの管理の適正化の推進に関する指針」では、耐震性の確保されたマンション居住者に対して、在宅避難を基本方針として位置づけています。
在宅避難が推奨される条件(マンションの場合)
├── 建物の安全性:新耐震基準(1981年以降)を満たしている
├── 建物の状態:発災後の点検で大きな損傷がない
├── ライフライン:電気・ガス・水道の状況を確認済み
└── 健康状態:居住者が在宅継続に支障がない
これらの条件を満たす場合、マンション居住者は原則として在宅避難が求められます。
逆に言えば、マンションの防災は「避難所につなぐ防災」ではなく、「建物の中で完結する防災」へと転換する必要があります。
2. 在宅避難には2種類ある——「行けない」と「行かない」
在宅避難と一口に言っても、実態は大きく2種類に分かれます。この違いを把握することが、マンション防災の設計に直結します。タイプA:「行けない」在宅避難
物理的・身体的な理由により、避難所への移動が困難な住民の在宅避難です。- 高齢者・身体障害者:エレベーター停止後、高層階から自力で降りられない
- 乳幼児を抱える家庭:荷物と子どもを抱えて遠距離移動が難しい
- 医療的ケアが必要な住民:在宅医療機器・薬剤があり移動自体がリスク
- 外国籍住民:避難所での情報受信・コミュニケーションに不安がある
「避難所に行かない」のではなく「行けない」という受動的な在宅状態であり、周囲からの積極的な関与が不可欠です。
タイプB:「行かない」在宅避難
能動的な判断として自宅にとどまる選択をした住民の在宅避難です。- 判断力のある成人世帯:建物の安全性を確認し、自宅の方が安全と判断
- ペット同伴世帯:避難所へのペット同伴が難しく自宅にとどまる
- 在宅勤務・自営業者:仕事の都合により自宅を離れられない
- プライバシーを重視する世帯:避難所の集団生活を避ける
また、「行かない」という選択が正しかったかどうかの判断を、継続的に更新し続ける必要があります。
2タイプが混在するマンションの複雑さ
実際のマンションでは、この2タイプが同じ建物の中に混在します。タイプAは支援が必要。タイプBは自立しているが情報を必要とする。
そして避難所に行く住民も一部いる。
この混在状況を把握し、それぞれに適切な対応をするためには、平時から誰がどの状況にあるかを把握しているマンション内の関係性が不可欠です。
3. 在宅避難が生む、見えにくい危機
在宅避難を「自宅にいるから安全」と思うことが、最大の誤解です。在宅避難には、避難所にはない固有の危機が存在します。危機①:「見えない孤立」の発生
避難所では、住民の状態が可視化されます。食事・水・情報が配布され、支援スタッフが巡回します。
しかし在宅避難では、扉の向こうで何が起きているかは、誰にも見えません。
エレベーターが止まった高層階で、食料・水が尽きかけている。連日の余震で精神的に疲弊し、助けを求められない。
隣が在宅避難しているかどうかすら分からない
——こうした「見えない孤立」は、避難所では起きにくいが、在宅避難では容易に起きます。
危機②:情報の断絶
避難所には、行政・自治体からの情報が集約されます。給水車の来る場所・電気復旧の見通し・支援物資の配布日時
——こうした情報は、避難所にいる住民には届きやすい一方、在宅避難者には届きにくい構造があります。
特に、停電・通信障害が重なった場合、在宅避難者は情報の真空状態に置かれるリスクがあります。
デマや不正確な情報だけが口コミで広がり、必要な行動を取れないまま時間が経過します。
危機③:支援の「後回し」構造
公的支援は、原則として避難所を優先します。避難所に来ていない住民は「自宅で安全に過ごしている」と見なされ、支援が後回しになりがちです。
行政のリソースは限られており、在宅避難者全員を個別訪問することは現実的ではありません。
在宅避難者が支援を受けるためには、自らSOSを発信するか、マンション内の共助ネットワークを通じて存在を知らせるしかないのです。
危機④:長期化による消耗
能登半島地震(2024年)では、ライフラインの復旧に数週間〜数ヶ月を要した地域がありました。在宅避難が想定する「数日間」ではなく、「数週間・数ヶ月」の長期化は、住民の精神的・身体的な消耗を急速に進めます。
この長期化に耐えられるかどうかは、備蓄の量だけでなく、「支え合える人間関係があるかどうか」に大きく左右されます。
4. 避難所がないマンションに何が必要か
在宅避難を機能させるために、マンションには何が必要か。避難所が提供していた機能を、マンション内で代替・補完する視点で整理します。
避難所が提供する機能とマンション内の代替
| 避難所の機能 | マンション内の代替手段 |
|---|---|
| 安否の可視化 | フロア単位の安否確認・共有ツール |
| 食料・水の配布 | 備蓄品の共有・フロア間の届け合い |
| 情報の集約・配信 | 管理組合からの一斉連絡・掲示 |
| 精神的なつながり | 住民間の声かけ・コミュニティ |
| 支援スタッフの巡回 | フロアキャプテンによる担当世帯の確認 |
| 要配慮者への優先支援 | 平時から把握した要配慮者リストの活用 |
設備・備蓄はその補助に過ぎません。
そして「人が動く」ためには、誰がどこにいるかを知っていること、声をかけられる関係性があること
——平時から構築された共助のネットワークが不可欠です。
「在宅避難計画」という発想
多くのマンションには「避難計画」があります。しかしその多くは「どのルートで避難所に向かうか」を定めたものです。
在宅避難が前提になった今、必要なのは「在宅避難計画」
——自宅にとどまる前提での、マンション内の行動計画です。
在宅避難計画に含めるべき要素
├── 建物安全確認:誰が・どの基準で・どう判断するか
├── 安否確認手順:発災後〇分以内にフロア内確認完了
├── 要配慮者対応:誰が・誰のところへ・何を持って行くか
├── 情報収集手段:停電時の情報取得方法・共有方法
├── 備蓄の共有ルール:個人備蓄と共有備蓄の使い分け
└── 長期化対応:1週間・2週間・1ヶ月の段階別行動計画
この計画を「紙のマニュアル」として整備するだけでなく、住民が実際に行動できる状態にするために、フロアキャプテン制度や訓練との統合が必要です。5. 在宅避難を支える「フロア内共助」の設計
在宅避難の成否を左右する最小単位は、同じフロアに住む住民同士の関係性です。エレベーターが止まった状態では、異なるフロアへの移動コストは高く、フロア内での相互支援が最も現実的かつ迅速に機能します。
フロア内共助の3層構造
フロア内共助の役割分担
第1層:隣室ペア
└ 左右の隣室と「相互確認ペア」を形成
└ 発災直後の安否確認を担当
└ 普段から挨拶・顔見知りの関係を維持
第2層:フロアキャプテン
└ フロア全体(5〜10世帯)を担当
└ 第1層の確認結果を集約・上位に報告
└ 要配慮者世帯への優先訪問を実施
└ 情報をフロア内に伝達する
第3層:棟リーダー
└ 複数フロアのキャプテンを統括
└ 管理組合・防災委員会との連絡役
└ 棟全体の状況を把握・判断
この3層構造により、500戸の大規模マンションでも、「自分の担当範囲だけを確実にカバーする」という現実的な共助が設計できます。
「助けられる側」の自己開示を促す仕組み
フロア内共助の設計で見落とされがちなのが、「助けられる側」の準備です。支援が必要な住民が自らSOSを出しやすい環境づくりが、共助の実効性を高めます。
- 平時の自己申告制度:「支援が必要な場合は申告できる」という仕組みを管理組合が整備する
- 申告のしやすさ:紙の申込書・デジタルフォーム・フロアキャプテンへの口頭伝達など複数の手段を用意する
- プライバシーへの配慮:申告情報はフロアキャプテンのみが閲覧でき、全体公開しないルールを明確にする
6. 在宅避難とデジタル——情報の孤立をどう防ぐか
在宅避難で最も深刻な危機の一つが「情報の断絶」です。デジタルツールの活用は、この危機への有効な対策となりますが、設計を誤ると逆効果になります。
「有事のツール」になる条件
発災後に初めて使おうとするツールは、混乱の中でもすぐに機能するものでなくてはなりません。在宅避難時に情報共有ツールが機能するための条件は一つです。
平時から日常的に使われていない場合であっても、簡単に使いこなせるツールであること。LINEグループが既に活発に使われているなら、発災時にも機能します。
しかし「防災用として設定したが、普段は誰も見ていない」グループは、発災後に住民が思い出して開く保証がありません。
マンション防災の情報ツールは、防災専用として、緊急時に簡単に誰でも使いこなせる機能がシンプルに統合されたものである必要があります。
デジタルデバイドへの対応
——スマートフォンを持たない住民をどう守るか在宅避難の情報共有でデジタルツールを活用する際、最も注意すべきはデジタルデバイドの問題です。
高齢者・スマートフォン非保有者・通信環境のない住民が、情報の外に置かれると、在宅避難が「情報弱者の孤立」を加速させます。
対策として有効なのは以下の組み合わせです。
- デジタル+アナログの併用:デジタルツールの情報を定期的に紙に落として掲示板に貼る
- フロアキャプテンによる口頭伝達:デジタル情報を受け取れない住民に、人が直接届ける
- QRコードカードの事前配布:スマートフォンがあれば誰でもアクセスできる簡易な安否連絡手段を事前配布する
「デジタルで効率化しながら、アナログで包摂する」——この組み合わせが、在宅避難の情報インフラとして機能します。
発災後の「情報の優先順位」を事前に決めておく
在宅避難時に住民が最も知りたい情報は何か。これを平時に整理し、優先順位をつけておくことが、混乱の中での情報共有を効率化します。
在宅避難時の情報ニーズ(優先順位順)
1. 建物の安全性(今いる場所は安全か)
2. 家族・近隣の安否(周囲の人は無事か)
3. ライフラインの状況(水・電気・ガスはいつ復旧するか)
4. 支援物資の情報(食料・水はいつ・どこで入手できるか)
5. 今後の見通し(いつまでこの状態が続くか)
この優先順位に沿って情報を発信・収集する仕組みを、管理組合が平時に設計しておくことが、在宅避難の「情報設計」です。7. まとめ:在宅避難時代の防災は、マンションの中で完結する
この記事で論じてきたことを整理します。① 在宅避難は「方針」ではなく「前提」になった
国土交通省・内閣府のガイドラインにより、耐震性能を持つマンション居住者の在宅避難は原則化されている。
「避難所に行く」前提の防災計画は、今すぐ見直す必要がある。
② 在宅避難には「行けない」と「行かない」の2種類があり、それぞれへの対応が異なる
要配慮者を中心とする「行けない」住民には積極的な支援が必要。
「行かない」住民には情報と精神的支援が必要。
この2タイプを平時から把握していることが、有事の対応の質を決める。
③ 在宅避難には「見えない孤立」「情報断絶」「支援の後回し」「長期化による消耗」という固有の危機がある
避難所にいれば見えるものが、在宅避難では見えなくなる。
この「見えなさ」を補うのが、マンション内の共助ネットワークだ。
④ 在宅避難を支える最小単位は「フロア内の共助」である
エレベーターが止まった状態では、フロア内の相互支援が最も現実的かつ迅速だ。
フロアキャプテン・隣室ペア・棟リーダーの3層構造が、大規模マンションでも機能する共助の設計だ。
⑤ 在宅避難の情報インフラは「防災専用として、緊急時に簡単に誰でも使いこなせる機能」でなければ機能しない
発災後に初めて使うツールは混乱の中で機能しない場合が多いが、日常のコミュニケーションと防災が統合されたプラットフォームは運用が大変になる。
それよりも、QRコードカードの事前配布がされ、防災専用として、緊急時に簡単に誰でも使いこなせる機能がシンプルになっていることが、在宅避難時代の情報インフラとして不可欠となる。
「いざとなれば避難所がある」——この前提は、マンション居住者にはもう当てはまりません。
在宅避難時代の防災は、建物の中で始まり、建物の中で完結します。
その防災を機能させるのは、設備でも行政でもなく、あなたの隣に住んでいる人との関係性です。
mansion-bosai.net 編集部 マンション防災と共助の一体的な実践を支援する情報メディア